2004年12月8日 三津野 真澄
熊本県水俣市と聞いて何を思い浮かべますか? 大部分の人が水俣病と答えるのではないでしょうか。
確かに昭和20年代後半から始まった水俣湾のメチル水銀汚染は八代海沿岸地域に住む人々を辛苦の底に落とし、そのあまりに悲惨な姿ゆえにミナマタの名は世界的にも有名になりました。
しかし現在は人々の努力によって、汚染の最も深刻だった水俣湾でも水質が回復しサンゴが復活するまでになっています。「水俣病から目を背けることなく教訓にして、環境汚染で壊れた町を環境で立ち直らせよう」という志のもと市民3万人が協力して、水俣を日本を代表する環境先進都市へと生まれ変わらせたのです。現地で訪れた施設の紹介を中心に市の取り組みをレポートします。
水俣市役所
1994年に水俣病犠牲者慰霊式で市長が公式に陳謝したことが水俣再生へのスタートとなった。当時水俣病は身体だけでなく市民の心まで蝕んでいたが、信頼関係を作り直す精神的な復元作業を「もやい直し」と命名し、市内300か所以上で「これからの水俣をどうするか」について市民が討論しあったという。
その結果、環境モデル都市作りへ挑戦することになる。以来、市は環境基本条例を制定しISO14001を取得。97年には水俣湾に25年間設置されてきた仕切り網が完全撤去され水俣湾復活を宣言。また企業、家庭、学校は環境ISOへの取り組みを推進し、国際的な「環境水俣賞」が設置された。現在では環境関連の国際会議を開催し海外からの研修生を受け入れるまでになっている。
水俣クリーンセンター
水俣を含む一市三町のゴミを処理している施設。水俣では「廃棄物は資源」の意識が徹底し、他の地域ではゴミカレンダーと呼ばれるものにも・・ゴミの替わりに・・資源の文字。収集は市内300箇所に設置された・・資源ステーションで21分別され回収される。一昨年より生ゴミも収集・堆肥化されるようになったため、焼却ゴミ量が45%も減量されたという。
クリーンセンター内に集積された・・資源を見せてもらった。種類ごとに分類され紙紐でしっかり縛られた紙類、洗浄圧縮され一切臭わない廃プラスチック類、生ゴミ製の袋入り堆肥。水俣市民のマナーの良さが光っている。

水俣クリーンセンター内に集積された廃プラスチック。臭い全く無し。
水俣病資料館
JR水俣駅は町の中心ではなくチッソ水俣工場正門前にあり、市民の8割がチッソ関係者という水俣市。ここで発生した「奇病」をチッソ工場からの廃液が原因であると認知されるまでには、長く悲惨な時間があった。資料館はその真実の姿と教訓を後世に伝えるために建てられた。メチル水銀に汚染された水俣湾をいかに浄化したかも展示され興味深い。
本館には語り部講座が設けられている。私たちは、水俣病裁判で患者側の先頭に立ち被災者救済に一生を捧げた故川本輝夫氏の奥様のお話を伺った。涙無しでは聴けない強烈で心を打つ内容であった。

百間排水路。ここから大量の水銀が水俣湾へ排出された。

水俣病資料館横の水俣メモリアル。毎年慰霊祭が開かれている。
熊本県環境センター
環境問題について正しい理解と認識を深め行動していくために設置され、環境学習と環境情報提供の拠点となっている。熊本県下の全小中学生が毎年一回は訪れて、センター前の干潟で自然観察を行い、センターの見学や講義、実験などに参加している。また企業や町内会単位での利用も活発で、環境NPOの支援も行っている。
センターの庭から見下ろす水俣湾は、青く澄み渡り、陽にキラキラ輝いていた。
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水俣市内を歩くと、「水俣を復活させ美しい環境を取り戻んだ」という市民の熱い思いが伝わってきます。水俣湾で取れるお魚は新鮮で美味しく、山の幸と温泉にも恵まれた水俣。一度ぜひ訪れることをお勧めします。私たちがどのような町作りをめざしたらよいか、ヒントが数多く得られた町でした。